ファーストレディ・岸田裕子さんインタビュー②/広島の皆さんへメッセージ

この記事は2022年9月9日に作成および更新したものです。
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ファーストレディー-インタビュー②

 

岸田文雄内閣総理大臣を支える、日本のファーストレディとなられた岸田裕子さん。

特集「パート①」では、ファーストレディの心境などを伺いました。

今回は、広島出身の総理大臣、そして総理夫人として平和を伝えることについてご紹介します。

▼この記事を読んで分かること
◎『核兵器のない世界へ』岸田文雄総理大臣の著作とは?
◎平和を実現するということ。
◎広島の母校で学んだ、平和学習を活かして。

この記事を読めば、日本のファーストレディ・岸田裕子さんについてわかるので、ぜひ参考にしてみてください。

1. ヒロシマと平和を考える

被爆地・広島出身の総理大臣として

 

2022523日 東京で、岸田文雄総理大臣とバイデン米大統領が、日米首脳会談を行いました。

「核兵器のない世界」に向けて、ともに取り組むことも発表。

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1日には岸田総理が、ニューヨークの国連本部にて、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に、日本の総理大臣として初めて出席し、英語で演説をされました。

そして、86日、77回目の「広島原爆の日」を迎え、平和記念公園での「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」に岸田総理は就任後初めて参列、あいさつをされました。


核兵器禁止条約の発効から1年余りが経過。
広島に住む私たちにとって、平和について考えることは意義あることだと考えます。

 

広島の風景


ファーストレディとして、平和を実現していくこととは?

G7 広島外相会合

 〔出典:外務省 2016年  G7 広島外相会合〕


●岸田文雄内閣総理大臣は、広島出身の総理大臣です。岸田裕子さんは外相夫人も経験されました。
「平和」に関する想いなどをお聞かせくださいますか?(ライター:山田)

 

 

岸田裕子さん(以下、裕子さん):「核兵器のない世界に向けて、一歩でも二歩でも前進してほしいです。

 

唯一の被爆国、被爆地 広島出身ということで、戦争の悲惨さや、核の恐ろしさを世界中の多くの人に伝えていくこと、知ってもらうことは大切だと思います。

 

私は戦争を知らない世代ですけれど、祖父たちから戦争のことを聞きました。

両親からも、疎開していた時のこと、戦時中のこと、子どもなりにいろんな経験したことを、私も聞くことはできました。


でも、だんだん高齢化して、月日が経っていくにつれて、戦争を直に体験した人は減ってきました。
そういう中でなんとかして『次の世代にも戦争の恐ろしさを伝えていくこと』が、これからまた戦争をおこさないことにつながっていくと思います。
記憶が風化していく中、次世代に伝えるための工夫も必要だと思いますし、実際、そういう活動に力を注いでいらっしゃる方もおられます。

 

G7 広島外相会合2

 〔出典:外務省 2016年  G7 広島外相会合〕


広島の原爆資料館に世界各国の首脳や、リーダーたちが訪れてくれたらいいですよね。

G7外相会合・広島の時も、外相夫人方にも原爆資料館を直に見ていただいて、その時に被爆証言者の方のお話も実際に聞いてもらうことができました。
どの夫人方も、真剣な表情で資料館を回り、証言者の話に耳を傾けてくださいました。」

 


2. 平和へ向かっての努力を諦めない

『核兵器のない世界へ』

「核兵器のない世界へ」岸田総理著作

『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』 岸田文雄著 日経BP

 

――『核兵器のない世界へ』を読ませていただきました。
   2019
年、ローマ教皇が広島を訪問された時のことを、岸田総理が記されていました。
   私はカトリック信徒ですので、とても嬉しく拝読しました。
   ローマ教皇は、核兵器の存在を強く批判されましたが、なかなか核兵器はなくならないと私は思っています。(山田)

 

 

裕子さん:「平和は、それぞれの人の心の中にあるものだと思います。
ですから、一人一人が平和を願い、努力する事が大事だと思います。
核兵器を世界からなくす事は、長い道のりかもしれません。

そして、核兵器のない世界を目指し、長い道のりかもしれませんが諦めず、そこに向かっての努力を続けなくてはいけないと思います。その日を信じて。」

 

――素晴らしいですね。(山田)

 

裕子さん:「ありがとうございます。」

 


母校で培った平和という理念

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サーロー節子さん

 

●岸田裕子さんと、筆者は、広島女学院中学校・高等学校での同窓生です。

さらに、同じく同窓生で、核廃絶運動でノーベル平和賞を受賞し、授賞式で感動的なスピーチをされた、サーロー節子さんと岸田家はご親戚です。

 

 

――私たちは、母校(広島女学院)でも「平和学習」を熱心にしました。

今の立場で活かされていると思われますか?(山田)

 

 

裕子さん:「原爆は自分が住んでいる所で起きたことですね。

学校の同窓の先輩であるとか、被爆された方たちもまわりにいらっしゃって、そういう方たちのお話を、直に聞くこともありますし、小学生から高校まで、毎年86日には登校して、原爆や平和について学びました。

そういうことでは原爆の恐ろしさ、原爆ということが遠い世界の話ではなく、現実にそういうことがあったのだということを、悲惨な出来事があったことを、ずっと感じて育ってきたというのはあると思います。想像を絶する世界だと思いますけれども。」

 

広島女学院 原爆被災誌 夏雲

広島女学院原爆被災誌『夏雲』

 

――広島女学院では、昔から「平和学習」に力をいれていますね。(山田)

 

 

裕子さん:「私たちのころよりも平和学習が、広く深くになっているとおもいます。

G7の時に(外相夫人プログラムで)広島女学院を訪問しましたけれども、在校生が日頃の平和学習で学んだことを発表してくれました。スライドを使って丁寧に。

私たちの頃は、証言集の『夏雲』を読んでいましたが、今はグローバルな視点で平和学習をされています。大切なことですね。」

 

 ――おっしゃるとおりですね。「平和の大切さ」は継承されていくことでしょう。

   ありがとうございました。(山田)

 

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岸田裕子さんも筆者も、キリスト教主義学校で学ぶにあたり、「平和の実現」と「隣人愛」を大切に教えられました。

このインタビュー後、ロシアによるウクライナへの侵攻が起こりました。
また、エマニュエル駐日米国大使夫妻の広島訪問時には、岸田総理大臣夫妻が親睦を深められました。


これからも岸田裕子さんが、日本のファーストレディとして、さらに「平和への実現」を世界に発信されていかれると期待します。(山田)

〔2022年1月6日 インタビュー〕



3. まとめ

岸田裕子さんは、明るい笑顔とユーモアを交えながらインタビューに応じてくださいました。

いつも謙虚で美しく、周囲への心配りをされる岸田裕子先輩が、おもいがけずファーストレディになられたことで、筆者も貴重な機会を得ることができました。
和やかな雰囲気のうちにインタビューできましたことを、心から感謝します。


20235月には、「G7サミット」が広島で開催されます。
広島に住む私たちも、期待がふくらみますね。

ファーストレディが、これからの日本の輝く未来に、岸田総理大臣とともに世界へと飛躍されることをお祈りします。


岸田文雄総理と岸田裕子さん画像
〔出典:岸田文雄 Instagram






岸田 裕子(Yuko Kishida)/プロフィール

 

広島県三次市出身。

広島女学院中学校・高等学校卒業。

東京女子大学文理学部日本文学科卒業後、マツダ株式会社入社。役員秘書を務める。

1988年 結婚。3人の息子の母。

2021年 第100代・第101代内閣総理大臣 岸田文雄氏の妻。

現在の日本のファーストレディ。

 

 

(担当ライター:山田典子