kunugi(株式会社櫟)代表取締役
KIYORANGEデザイナー/兼田 貴代さん

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kunugi(株式会社櫟)代表取締役
KIYORANGEデザイナー
兼田 貴代さん

【プロフィール】
広島市出身。県立安芸高校を卒業後、大阪の辻学園日本調理師専門学校へ入学。寿司店、フレンチレストラン、高級デザートサロンやケーキ工場などでの修業を経て、1994年、ワッフル専門店「櫟kunugi」を創業。店舗は現在、太田川本店をはじめ5店を展開中で、子どもたちの代へ事業継承の最中でもある。
2015年には、49歳にして広島大学経済学部に社会人入学。学部を越えた同窓の会で大学院を卒業したウズベキスタン人と出会い、2023年、ウズベキスタンにもカフェをオープン。ワッフルを中心としたスイーツを提供している。また、日本の繊細な文化を伝えたいと、ウズベキスタンでジュエリーデザイナーとしても活躍。自身のブランド「KIYORANGE」をスタートさせた。
仕事以外でもアクティブで、趣味はジェットスキー、ゴルフ、バイクと多彩。さらに縁あって参加したコンテスト「Mrs.オブザイヤー2021広島大会」ではグランプリ、その後、日本大会、世界大会に進み、準グランプリ、ベストコスチューム賞を受賞。2023年にはロサンゼルスで行われた「Virgelia大会」で、Mrs.ASIA USAユニバースと、インターナショナルコスチューム賞の二冠を獲得。海外での大会では、母の故郷の伝統芸能・神楽を通じて世界中に日本の文化と平和、輝いて生きることを伝えたいと語る。若さの秘訣は「欲張りなことと、あれも見たいこれもしたいという好奇心」と話す。


信頼と感謝の積み重ねが、
この店の歴史


 高校を卒業後「自分に自信が持てるものを」と母の勧めで大阪の調理学校へ。当時の夢は飲食店を開くこと。ところが就職した寿司店は「女性は厨房に立つな」の世界。修業の厳しさに耐えかねて大将に猛反発し、フレンチレストランを紹介してもらったのだと兼田さん。一転、レストランではすぐに調理をまかせてもらい、そこで興味を持ったのがデザートでした。好奇心には逆らえないタイプ。レストランで働きながら、今度は当時話題の超高級デザートサロンの門を叩き、無給でいいから働かせてくれと直談判。お菓子づくりを貪欲に学んでいきました。ところがそんな折、広島からわざわざ娘の働くデザートサロンを訪ねてきた母が、高くてお店に入れず写真だけを撮って帰ったという話を聞き、ショックを受けます。この時感じた「安くても感動できるお菓子をつくりたい、それで喜ぶ人の顔が見たい」という思いが『櫟(くぬぎ)』の原点だと振り返る兼田さん。帰広して念願のお店をオープン。今から30年前の出来事です。
 これまでのお店の歴史を振り返れば、辛さや苦しみは枚挙にいとまがないと話します。中でも忘れられないのは、お店側のミスで届け先の番地を聞きそびれ、徳島まで車を走らせて届け先の家を町中探し回ったこと。ようやく見つけた届け先のおばあちゃんから逆に感謝され抱きしめてもらい、涙が止まりませんでした。「小さな町で商売をしていても、私たちの商品はこんな遠くの町まで届くんだと実感もできましたし、その後引きこもり気味だったおばあちゃんが、私のために送るすだちをスーパーまで買いに行ってくれたというお話を聞いて、お菓子って人と人を繋いでくれるんだと、ますます嬉しくなりました」。クレームやトラブルを嫌だと思わず、真摯に向き合っていくこと。こうして生まれる人と人の信頼こそが『櫟』の強みであり、長続きしてきた理由なのだと明言します。思い返せば、最も厳しかった寿司店の修業時代こそ、お客様への感謝、お客様のために行動を起こすことの大切さを教わっていたと気づいた創業20年目のある日、勇気を出して大将に電話。そのわずか一週間前に、大将は故人となっていたそうです。
 年の半分以上を海外で過ごし、新規事業にも邁進する兼田さん。息子たちの代に経営は少しずつまかせ、今はできるだけ口を出さないように。それでも、信頼や感謝といった目に見えない『櫟』の財産を、これからのスタッフたちに伝えていくのは自分の役目であり、彼らが困っていれば手を差し伸べたいと話します。それは、母や大将、多くのお客様から受け継いだ愛の、恩返しです。




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自身がデザイン・プロデュースするジュエリーブランド「KIYORANGE」。〝太陽(日)と月〟で、日出る国・日本とウズベキスタンのシンボルの月をモチーフに、中央には真珠をあしらい、地球上の〝陰陽〟のバランスや世界平和を願ってデザインされています。