株式会社マルニ木工 代表取締役社長
株式会社マルニファニシング代表取締役社長 山中 洋さん

vol48_山中洋さん
株式会社マルニ木工 代表取締役社長
株式会社マルニファニシング代表取締役社長
山中 洋さん

【プロフィール】
1971年生まれ、広島県出身。大学卒業後、アメリカのオールド・ドミニオン大学へ留学。卒業後、99年マル二木工に入社。入社後、イギリスの家具工場へ2年半赴任し、家具づくりの“いろは”を学ぶ。帰国後は東京営業所の営業部門へ配属。専務取締役/営業本部本部長、副社長を歴任し、21年3月より現職。営業本部長時代から「nextmaruni」「MARUNI COLLECTION」等、外部デザイナーとのブランドプロジェクトを推進し、国内はもちろん国外でも高い評価を受ける。こうしたプロジェクトの中でプロダクトデザイナー・深澤直人氏と生み出した「HIROSHIMAアームチェア」は、Appleの本社ビルで使用されていることでも有名。サッカー、アメリカンフットボールなど学生時代はスポーツに励み、現在も休日はジムで体を動かす。リフレッシュ法は毎週のサウナ通いで、いつか本場フィンランドのサウナへ行くのが夢。


工芸の工業化という〝マルニイズム〟を
100周年に向け、さらに高みへ、もっと世界へ


 スポーツエージェントを志していたアメリカへ留学中の20代。そんな折、父から届いた長いエアメール。これまで家業を継げと言われたことはなかったものの、息子の将来を心配する内容に、帰国して話しをしてみることに。その時も好きなことをやれと言ってくれる父。ですが、しんどそうな父のため、会社のために何か力になりたいと家具業界へ飛び込んだと当時を振り返ります。
 入社後はすぐにイギリスへ家具修業。自分の英語も通じない、食事も合わない、何より家具のことも会社のこともほぼ分からない中での2年半は相当にキツい生活だったそうですが、家具について長い歴史を持つ国で、家具づくりの基本を学ぶことができました。帰国後に配属されたのは営業部門。バブル後の不況の最中、新商品の開発に会社として総力を上げ、それでも苦戦していた時代です。「同業他社が時代に合わせシンプルなデザインの家具を売り出す中、重厚感のあるうちの家具はお客様に見向きもされず、接客すらさせてもらえないのが辛かったですね」。
 転機は05年、プロダクトデザイナー・黒川雅之氏との出会い。氏の提案によって12名の外部デザイナーと手がけたプロジェクトは、これまで自社完結していた商品づくりを否定するもので、社内からの反発もありました。一方で世界に例を見ないプロジェクトは多くのメディアや販売店から注目の的ともなったのです。「不得意な部分を外部の力で補完するやり方は新鮮で、しかし我々自身の得意分野を潰していることにも気づかされ…発見の多い本当に貴重な経験でした」。
 思い返せば苦しいことの方が多かったと笑う山中さんですが、10年以上にわたりミラノの国際家具見本市にも出展し続ける現在、同社の家具は海外でも多くのショップに並び、海外展開の下地がようやく整いつつあると話します。「日本の家具が世界で劣っているとは思いません。それなのに日本の家具メーカーが国際的なブランドになりえないのは、本気で海外進出を目指していないからだと考えています。やり方次第で可能性はまだまだ広がります。また、信頼している社員たちもいます。これから100周年に向けて、もう一段ステージを上がっていきたいですね」。
 100周年を控え、湯来町の本社工場をもっと広く人が集まる場所にしたいとも構想し、世界を、未来を見据える山中さん。それでもマルニを支えているものは創業者である祖父・武夫氏の〝工芸の工業化〟という言葉に詰まっていると言い切ります。美しさのある家具を手の届く価格で、何より申し分ない使い心地で。それを作り出していく熟練の職人の目と手仕事が、毎日微調整を繰り返している機械のプログラミングが、そして社内に連綿と息づくこの〝マルニイズム〟が、山中さんの誇りです。




HIROSHIMAアームチェア

背もたれとアームが一体となった美しい曲面を持つ「HIROSHIMAアームチェア」は、プロダクトデザイナー・深澤直人氏と開発したもの。シャープな輪郭はやわらかな造形を際立たせ、美しいシルエットを生みます。継ぎ目が目立たないように合わせられた接合部など、丹念な手仕事が光る一脚。