プロゴルファー/河商株式会社 取締役 田村 尚之さん

vol46_田村尚之さん
プロゴルファー/河商株式会社 取締役
田村 尚之さん

【プロフィール】
1964年生まれ、廿日市市出身。日本プロゴルフ協会認定トーナメントプレーヤー。株式会社ダイクレ所属。修道高等学校〜東京理科大学工学部卒業後、マツダ株式会社へ入社。入社3年目に出場した広島県アマチュア選手権での優勝を機に、トップアマとして活躍。1994年、日本オープンゴルフ選手権ローアマチュア。2001年、河商株式会社へ転職。会社員ゴルファーとして二足の草鞋を履き続け、日本ミッドアマチュアゴルフ選手権優勝などタイトル多数。2013年、49歳でプロテストを受け一発合格。2016年、富士フイルムシニアチャンピオンシップでツアー初優勝。2021年、ファンケルクラシックでツアー2勝目。RCC中国放送・田村友里アナウンサーとは親子。


プロの世界は、
ゴルフ界への恩返しの場所。


 ゴルフとの出会いは3歳頃。普段忙しい父親と一緒に遊べる日曜のゴルフが子供心に楽しかったと振り返ります。小5でコースデビュー。他は何も敵わない父親にハーフで勝ったことがゴルフにのめり込む決定打となりました。中学ではさらにゴルフに没頭し、1人で練習場に通う日々。周りに勧められて出場した中国ジュニアで2位、そのまま関西ジュニア優勝と、めきめきと頭角を現します。一転、高校大学と学業を優先。もとよりプロになる気も、コーチを目指す気もなかった田村さん。スイングは今も自己流です。
 転機はマツダ勤務時代。広島県の大会で優勝したことで新聞に露出。これがきっかけで上司や周囲の後押しを受け、有休を使って日本アマなど大きな大会へ参加できるようになりました。「いろんな縁やフォローがあって当時の自分があった。モチベーションが高かったのも、限られた時間でしか練習できないサラリーマンだったからだと思います」。
 37歳で奥様の実家である河商に入社。仕事とゴルフを両立させ、43歳には日本アマで準優勝を飾ります。ちなみにこの時優勝していたら目指すものがなくなり、自分のゴルフ人生は終わっていただろうと話します。「負けたからこそ、続けられたんです」。
 そんな折、地元広島の先輩でもある倉本昌弘プロと対談する機会が。そこで「50になったらシニアツアーへ来い。50歳でプロ転向して、シニアツアーで活躍する第一号になれ」と誘いを受けます。当時、ゴルフ界へ恩返ししたいという思いを抱いていた田村さん。同時にアマチュアではそれに限界があるとも感じていたそう。仕事でもゴルフでも付き合いのあったダイクレの山本浩氏からも背中を押され、49歳でプロテスト一発合格という快挙を達成しました。
 プロになっても試合がなければ出社。生活スタイルは変わりません。ただ、メディアを通してゴルフの良さを伝えられるようになったこと、自分のように50歳でもプロテストを受けようとする人が多くなったことには、プロになってよかったと実感。それは=ゴルフ界への恩返しだからです。「自分にも、シニアツアーを盛り上げる〝助演〟としての役割があるのなら、もう少し第一線で頑張りたい」と田村さん。
 そんなゴルフを、怒られるかもしれないけどと前置きして「趣味」と言い切ります。これはずっと変わらないゴルフとの向き合い方。「上手いも下手も、年齢も性別も、プロもアマも関わらず一緒に楽しめるのがゴルフ。人生と同じで予期せぬことが起こるのも醍醐味ですよ」。




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