シェラトングランドホテル広島 総支配人 山本博之さん

vol44_山本博之さん
シェラトングランドホテル広島 総支配人
山本 博之さん

【プロフィール】
1960年生まれ、東京都出身。祖父は代議士、父は会社経営者で、2人兄弟の次男として育つ。成城大学卒業。1983年ヒルトン東京に入社し、トイレ掃除、ハウスキーピング、バスマン、ドアマン、フロント、営業などを経験。これらオペレーションの基礎を学んだことが現在の礎となっていると振り返る。1990年スターウッド・ホテル&リゾートに入社。2002年ウェスティンリゾートグアムの営業部長に就任。2004年からシェラトン札幌、神戸で総支配人を歴任。シェラトンホテル広島の開業準備室から携わり、2011年から現在まで広島で総支配人を務める。2016年には56歳でAsia PacificでNo.1総支配人の称号「GM of the Year」を受賞。趣味はキックボクシング、ウィンドサーフィン(大学時代全国大会)、ボーリング(アベレージ197)、卓球(武蔵野地区ダブルス1位)、ゴルフ(2019年広島県民ゴルフコンペ予選1位※決勝は仕事で不参加)など、スポーツ万能の体育会系。また、休日にはハーレーでツーリングすることも。


総支配人への夢、
開業に携わるという夢…
これから先の夢は
チームのみんなと叶えたい。


小6の時、家族で帝国ホテルへ食事に。ジャケットを着ていない父が入店を拒まれていたところへ黒服の方が「私のジャケットがあるからこれを着て食事を楽しんでください」と。子供心にそのスマートな対応に憧れたのが、ホテルマンを志したきっかけと振り返る山本さん。大学卒業後はヒルトン東京に入社。大卒も中卒も一から仕事を学ぶのが当時のスタイル。清掃、ドアマン、フロント、営業とあらゆるホテル業務を経験しました。厳しい環境下で、上司とぶつかることもしばしば。それでもこうした経験でホテルマン斯くあるべしを学べたのが今の自分に活きていると話します。「辛いこともありましたが、やっぱりホテルの仕事が好きだから辞めたくなかったんです」。
30歳で外資系ホテルの営業部署へ。そして32歳、世界中のホテルの営業代表が集まる会議でプレゼンをすることに。前日に入念な予行演習を行うも、当日200名の各国代表を前にして頭が真っ白に。手に持つ紙も声も震え、目の前に座っていた女性はあまりの光景に泣き出す始末。本人曰く〝人生最大の恥〟と呼べる経験は帰国後も悔しさを募らせたそうです。ただ、そこで生来の負けず嫌いを発揮した山本さん。無我夢中で英語の勉強を始め、翌年NYで開催された会議では英語で見事なプレゼンをやり遂げました。話し終えた後の会場の熱気、鳥肌、そこで得た自信は今も忘れることができません。
総支配人になるという夢を45歳に札幌のシェラトンで、新しいホテルの開業に関わりたいという夢は50歳の時、シェラトンホテル広島で叶えました。しかし、何から手をつければいいのかわからない状況でも開業日が決まっている以上、「今日サボったら間に合わないんじゃないか」というプレッシャーは常にあったそう。また、開業2週間前には東日本大震災が発生。気持ちの面でも数字の面でも厳しい船出となりました。
「ワンチーム」とは、開業当時からスタッフに伝えてきた言葉。まず個人の成長があり、その上で結集したチーム力こそがこのホテルの魅力と山本さん。スタートこそ順風ではありませんでしたが、ホテルは着実にお客様満足度を高め、また地域に愛され、15年にはワンランク上を意味する〝グランド〟の名称を得ました。現在のコロナ禍にあっては、お客様の安全はもちろん、経済面を含めたスタッフの安全も守り、世の中の変化にもチーム全体で柔軟に対応しています。「あえて厳しいことを伝え続けていくのはしんどい時もありますが、大好きな広島で、大好きなホテルマンという仕事を、スタッフ1人1人の成長を喜びながら続けていけるので、今とても幸せです」。




GM-of-the-Year2016

2017年にマカオで行われた「GM of the Year2016」の授賞式。売上・顧客満足度・地域貢献・従業員満足度などが多角的に評価され、年間でただ一人に与えられる称号です。総支配人になる夢を叶え、1からホテルの開業に携わる夢を叶え、さらにその先に進めた瞬間ですが、山本さん本人は晴天の霹靂で、この時のことをほとんど覚えてないのだとか。


週に1回はプレーするという大好きなゴルフ

東京都3位になったボウリングや大学の全国大会で決勝まで進んだウィンドサーフィンなど、スポーツセンスも抜群。週に1回はプレーするという大好きなゴルフは、ハンディキャップ5という実力者です。また、健康維持を兼ねて休日にはキックボクシングも習っています。練習は辛いと話しますが「そこで根性磨きをしている」と根っからの体育会系です。