株式会社山貴 会長 真木徳美さん

真木徳美さん
株式会社山貴 会長
真木 徳美さん

【プロフィール】
1948年生まれ。皆実高校、中央大学とボート部一筋。大学卒業後は政治家を志し東京で代議士の秘書となるが、2年間で厳しい現実に直面し、断念。帰広後は高校のボート部のコーチ三昧の生活を送り、26歳の時にギフト商材の卸売を主業務とした「山貴」を創業。その後、1978年にはRCC文化センターにショールームを開設するなど、小売業としての販路を拡大。現在では自社オリジナル商品による全国の牛乳販売店・酒店へのチラシ販売を展開、自身は昨年会長職に。68歳になってなお、中央大学のOB会で年に4回ほどボートを漕ぐという健康体で、45年間体重が変わっていないという体調管理には脱帽である。


目の前のことをただ真面目に取り組む…
それがスタートであり、原点。


時代に対応しながら41年
青春時代をボート競技に捧げた真木徳美さんが現在の会社を起業したのは26歳の時。ブライダルギフトを専門に扱う問屋としてのスタートでした。起業の理由を「生活のため」と振り返りますが、同時に「商売の面白さというものはずっと感じていた」とも。会社としては幾度かの転機を迎えます。その1つがスイス・シーマ社の腕時計の職域販売を始めたことでした。時計は大ブームとなり、全国350社にまで販路を拡大、1アイテムで3億という年商をあげることになります。「急速に会社が成長し、周囲から『先見性があったね』などとも言われましたが、それは違います。目の前のことをただ真面目に取り組んでいただけなんです」と真木さん。現在は地球環境や健康に優しい商品を自社開発し、全国の牛乳販売店などと提携、発注があれば商品を発送するというビジネスモデルで業績を伸ばしています。
「線路の上を走ることはできても、線路を敷くのはやっぱり社長の仕事」。その言葉の通り、カンパニー制度を導入し営業スタッフの意識改革を行ったり、長く働いてもらえるよう70歳定年制を採用したり、また子育て中のスタッフは非常時には子連れ出勤を許可したりと、時代に応じて社内規定も変えてきました。根本にあるのはいつも社員の幸せ。だから「山貴」には長く勤める人が多いそうです。そして自らも率先してバリバリ働く真木さん。「給料だけもらって働かないと、社員から不満が出てくるでしょ」と笑います。

健康で生き生きと輝く理由
仕事を離れれば孫が大好きな好々爺。また、4年前からは大学のOB会で再びボートを漕ぎ始めたという真木さん。充実したプライベートは、もちろん健康あってのことですが、なんと真木さんは45年もの間ずっと同じ体重を維持しているそう。秘訣は、無理のない運動をずっと続けることと、バランスの良い食事、21時〜5時というしっかりとした睡眠時間の確保です。また、現在も奥様とラブラブな家庭人であることも、その健康を支えているのかもしれません。
今後は、自社の強みの1つでもある防災セットをネット販売の波に乗せるなど、会長職となってもなお次代の事業展開に意欲を見せる真木さん。その姿は、まるで海を切って進む1艘のボートのようです。




トレーニングを欠かさない真木さん
現在もボートを漕ぐためのトレーニングを欠かさない真木さん。エイトと呼ばれる種目で、「今はさすがに先頭は漕げない」と笑います。


「生き生きと生きよう」の社是
社内には「生き生きと生きよう」の社是が。現在29名いる社員を「同志」と呼ぶ真木さんは言います。「会社は幸せになるための1つの手段です」と。