医療法人ハンス理事長/長井ゼミ主宰 長井敏弘さん

長井敏弘さん
医療法人ハンス理事長/長井ゼミ主宰
長井 敏弘さん

【プロフィール】
広島県出身。大学卒業後、公務員・土木作業員など数々の職業を経験するも、27歳で広島大学医学部に再入学。在学中、有志と塾(長井ゼミの前身)を始める。さらに学費稼ぎのために予備校で教鞭をとるも、講義が人気となり、某大手予備校で衛星授業講師として毎週東京に出講する日々に。一方で、医学部卒業後、精神病院・大学病院・内科医院などで修練を重ね、2004年みなみストレス内科クリニック開業。現在は、長井ゼミなどの塾・予備校、みなみストレスクリニックなどの医療法人ハンスからなるNグループ代表として、多忙な日々を過ごす。2008年より広島テレビ「テレビ派」にレギュラー出演中。その他、テレビ・ラジオ番組への出演多数。趣味はDVD(SF・ゾンビ系)鑑賞とスポーツジム通いで、健康の秘訣はしっかり摂る朝食と朝風呂。普段から体づくりには余念がなく、テコンドーの黒帯所有者でもある。


〝教育〟と〝医療〟を通じて、
これからも誰かの人生の役に­­ー。


現在、16校舎の塾・予備校、そして3つのクリニックの代表として辣腕を振るう長井敏弘さん。しかし、ここに至るまでの人生は波瀾万丈なものでした。

人気予備校講師から医師へ
大学を卒業後、職を転々とする中で自身が堕落していくことを感じた長井さんは、医師資格を持つことを自分への救済策にすべく、27歳にして医学部への再入学を果たします。一方、学費を稼ぐために大手予備校でアルバイト講師となりますが、その授業が生徒に受け、アルバイトながら重用されることに。そうした中で医学部の有志とスタートさせたのが、現在の長井ゼミの前身となる塾でした。当時の塾生はわずか10名ほどだったとか。その後、大手予備校からヘッドハンティングされ、衛星授業講師として週の大半を東京で過ごす日々に。「当時はバブルで相当な収入もあり、いい気になっていた部分もあったと思います」と長井さん。しかしそんなある日、転機が訪れます。偶然、大学の恩師H教授(後の広島大学学長)と再会した長井さんは、恩師から「医者になるために医学を教えたのに何をしとる!すぐに辞めて医者に戻れ!」と叱責されました。その言葉に心を動かされた長井さんは、翌年には講師を辞め、再び医師としての道を歩き始めたのでした。

二足の草鞋を履く経営者
心療内科医を選んだのも、「君は人生の回り道をして、人生の苦しみを他の人より知っているんだから」という、恩師の言葉からでした。長井ゼミが軌道に乗る中でクリニックも開業、一見すると順風満帆なようですが「1日に60件近いマイナス思考の話を聞くわけです。それが頭の中にずっとありながら、今度は経営者としてプラス思考で動かなければならない。その1人2役は50歳頃から次第にきつくなってきましたね」と、実際は相当な負荷がかかっていたそうです。それでも…と、長井さんは続けます。「テレビ取材で元教え子の医師たちから『あの頃のテキストを今でもお守りで持ってるんです』『授業中の一言が人生を変えてくれたんです』と、言ってもらえたりしました。患者さんも同じです。『先生のおかげで人生にやりがいが出た』なんて言われると本当に嬉しくなる。私たちの仕事は、誰かの人生にとても役立っている、そのことを誇りに思いますし、後進にも思ってもらいたいですね」。




宮内総合クリニック
昨年10月、廿日市市宮内に開業した宮内総合クリニック。3人のドクターと20人の医療スタッフが地域医療に貢献しています。


「医学で合格(うか)る勉強法」
4月に発刊された著書「医学で合格(うか)る勉強法」(すばる舎)。多くの医学部輩出実績は、医師でもある長井さんのノウハウならでは。