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【終活体験談】築100年超の生家を解体するまで ②
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長らく住んできた「わが家を解体する」という決断。
人生において、経験する場合と、経験しない場合とがあります。
おもいがけず、実際に「家を手放し、解体する」という体験をした、私たち家族の「体験談」も、第二弾となりました。
家を解体して良かったことだけでなく、家を解体する際に大変だったこと、「不用品の処理方法」はどうだったのか?
今回も、「終活」と「相続」について考えながら、広島に住むCHIC世代の皆様に、役立つ情報をお届けします。
▼この記事を読んで分かること
◎家を解体して良かったこと。
◎不用品の処理方法。
◎家を解体するスケジュール。
この記事を読めば、「家の解体体験」についてわかるので、ぜひ参考にしてみてください。
〔外観:生家の裏手から〕
築100年を超えた、私の生家を、2020年に解体しました。
パート①では、「生家を解体することになった理由」や「家を解体するにあたり、大変だったこと」についてお伝えしました。
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今回は、「解体してよかった理由」と、「不用品の処理方法」を中心にご紹介します。
1. 家を解体して良かったこととは?
解体するにあたり、デメリットもありますが、良かったことについて私の父に質問してみました。
すると次のような回答でした。
(父)「庭や裏庭の桜の木が大きくなり、満開時は喜ばれたが、落ち葉の処理が大変だったし、毎年、庭木剪定費や、深く大きな池への24時間の水道代等、維持費がかさんだ。」
さらに、次のようなこともありました。
(父)「その昔、養蚕もしていたらしく、外気が入るような仕組みで建てた家は、熱効率が悪く、各部屋にエアコンを取り付けていて、月々の光熱費もかさんだ。」
昔、生家では、6人家族でした。
それぞれの部屋や、リビング・ダイニングを含めて、かなりの光熱費がかさんでいたのです。
(父)「スーパー隣接、国道そばの立地だが、夜間はポツンと一軒家なので、セコムを設置していて、安心の経費もかさんだ。
売却解体することで、これら夜間の安全と、維持管理費の心配が無くなったことです。」
このように、「維持管理費」がなくなったことはメリットで、とてもよい選択でしたね。
2. 解体までのスケジュール
解体が決まった2020年7月からの動きを、簡単にまとめてみました。
2020年7月/解体工事が決まる
↓
2020年8月/荷造りや、荷物の選別を進める
↓
2020年9月末/鍵の引き渡し
↓
2020年10月/解体工事がはじまる
この流れをみると、「短期間で、解体工事へと進めることができた」ことがわかります。
3. 不用品の処理方法
家を解体するにあたり、「不用品の処分」は、大いに頭を悩ませる案件でした。
(父)「今回の自宅売却の仲介は、三井住友信託銀行グループの『三井住友トラスト不動産広島センター』に依頼し、土地購入者が建物解体時に不用品を同時処理するので、不用品は残したまま引っ越して良いと言われ、大変うれしく、助かり、有難かった。従って、不用品の処理代は不要だった。」
「おまかせ」で不用品を処理してもらえることは、とても楽で、ありがたいことでしたね。
(父)「自宅引き渡し後も、購入者から『すぐ解体しないので出入り自由?』の好意をもらい、おかげでしばらくは、何度も、ドロボーに入った。」
「ドロボー」とは、つまり、解体工事までの時間、しばらくは荷物整理のために、家に入ることができたというわけですね。
(父)「古い家なので、蔵には珍しい物や、それなりの古美術品等もあって、業者さんとして、今回仲介の三井住友トラスト不動産の紹介で『やりくり上手 可部店』を退職独立した人に、買い取りをお願いした。
不用品を「買い取り」してもらえるとは、嬉しいですね。
4. 更地になってから
デメリット
両親は、解体工事中もあわせて、何度も、安佐北区三入の跡地に通っていました。
しかし、私は、生家を壊されることが、まるで過去の全てを壊されている気がして、切なく、つらく、どうしても、しばらくは見にいくことができなかったのです。
さらに、生家にあった「思い出の品」を、自宅へと運んだため、ひと部屋が倉庫状態になってしまいました。
「サマリーポケット」(宅配型の収納サービス)などを利用し、現在も少しずつ片づけています。
メリット
それでも、良かったと思える理由が2つあります。
1つは、世の中は「断捨離」ブーム。
加えて、私は「全捨離」(100%とはいかなくても、80%を捨てる)をすると、『人生が振り切れ、運気がよくなる。良い運気を呼び込める!』という説を信じています。
2つめは、『すべてのことには時がある。』という言葉があります。
これらにより、家の解体は「一番よい選択だったのだ」と、私は理解しているのです。
5. まとめ
生家を解体して、まもなく2年を迎えます。
2年とは思えない時間の経過。
「あの時に、家を解体しておいて、本当によかったね。」というのが、家族一同の感想です。
年を経れば経るほど、歳を重ねれば重ねるほど、「解体工事」や「片づけ」は億劫になってしまったことでしょう。
大変だったことも、今となっては「良い体験」。
まさに「良い終活」ができました。
過去を振り返りながら、自己と向き合い、明るい未来へと希望をつなげられた時でした。
今は、すべてのことに感謝し、この地に新しく住まわれる皆様の幸福を祈っています。
information
- 名称
- 株式会社信和ホーム
- ホームページ
- 株式会社 信和ホーム(土地分譲:安佐北区エリア)
- 名称
- 株式会社信和不動産
- ホームページ
- 信和不動産
1943年11月
広島市生まれ 法政大学社会学部 卒業
中学・高校の社会科教員免許 取得
1966年 4月
株式会社広島マツダ 入社
・入社3年目、年間100台以上販売の
全国マツダマンに与えられる
「金バッジ営業マン賞」受賞
・入社4年目から、主として
営業マン教育スクール開講を担当
・昭和51年 広島マツダ硬式野球部が
都市対抗全国大会に4強で入る
マツダ東京支社に駐在し、後楽園2000人の
応援団結成に奔走する
・昭和54年~55年、広島東洋カープへ短期出向する
1989年 7月
西武百貨店入社
JR広島駅前Bブロック再開発に出店業務で携わる
1992年 4月
パルコへ出向
東京渋谷のパルコ本社で、広島パルコ開店準備室勤務
1994年 4月
広島パルコを広島本通りに店次長としてオープンさせる
1998年 1月
(有)バンブーデュエを設立
自己所有不動産の管理会社
2003年 4月
医療法人 和同会
広島パークヒル病院(広島市西区田方)事務長で入社
現 在 4月
広島シーサイド病院(元宇品)
広島グリーンヒル病院(佐伯区下河内)
3病院同系法人 社会福祉法人 広島博愛会 監事
【趣 味】男声合唱・ゴルフ
法政大学アリオンコール(男声合唱団)卒団
東京六大学合唱連盟マネージャー
東京六連クラブ広島を設立 代表幹事